境界性パーソナリティ障害

【BPD患者の感じ方③】病気を言い訳にしていたこと、ちゃんと知っていたけど・・・。

2020年4月28日

こんにちは、エンパシスト兼マインドプロデューサーの関根(@cekineco)です。

【BPD患者の感じ方①】
時計の秒針も怖くて、カーテンの隙間から漏れる光すら怖かった過去。

そして、

【BPD患者の感じ方②】
いつの間に精神科に入院させられることになっていた?!

の続きです。

 

妻は初めて入院してから3ヶ月後に退院することになったそうです。そこからの話をまずはお読みください。

 

【タイトル】
退院後の生活

そ、退院してお家帰ってきたのは良かったんだけど、何かがよくなった訳じゃない。寧ろ、トラウマ?病院という恐怖が一つ増えただけ。私にとって入院はマイナスでしかなかったと思ってる。

退院したからって、入院する前と変わったことなんてない。
相変わらず、毎日誰かと遊んで、いろんな人と連絡取って、自傷行為をするのも、お酒を飲むのも入院前と変わらない。

それより、親に当たったり、物に当たったり、自分の体が傷ついてくのは増えた気がする。

孤独、悲しさ、怒り、自分でも何が気に食わないのか、何が欲しいのかがよくわからなくて、どうにも出来ないものと、誰かのせいに出来ないもの。

 

自分が境界性人格障害なのを誰かのせいに出来たら。。。「お前のせいでこんなにつらい、どうにかしろよ!」って言えたらどのくらい楽になれるかなって毎日考えてた。

でもその半面、ちゃんと病名が分かって、「頭がおかしくなったんじゃなくて、病気で良かった」とも思えた。でも病気って分かったからこそ「病気だから病気だから」ってそれを言い訳に使うようになった。

例えそれが病気とは関係ないことでも。

 

病気になる前から夜遊んで、朝になって帰ってくることも、お酒を飲むことも、親に当たることも、境界性人格障害って診断される前からしてたことなのに、それも全部「病気だから仕方ないよね、許してくれるよね」って病気ってものを良いように利用してた。

でも一つだけ言い訳。
本当は夜中いなくて親が心配してること知ってた、アルコール依存症並にお酒にハマりたくなかった、何かあるたびに親に当たるのも心が痛かった。

でも病気を言い訳にすることしかその時の私にはわからくて、どうしようもない、目に見えない精神病とどう向き合えば良いのか、向き合うって覚悟出来るまでかなり時間かかった。

退院して2、3週間好きに遊んで、好きな時間に寝て、起きて、たまに学校行って、入院前と同じ生活してたらまた荒れて来ちゃって、誰も止められなくなった。

 

やっと家に帰って来れたと思ったらたった3週間でまた入院することになった。

でもその時は自分から入院したいって伝えた。
少しだけ、「こんなに辛いなら入院でも何でもして早く治したい」って思えるようになれた。気がする。

 

退院が決まったのは良いものの、それは決して「良くなったから退院したわけではない」ということです。

もちろんまたいつ荒れだすかわからないけど、ただ「隔離するような緊急性はない」というお医者さんの判断なんだろうと思います。

 

病気と知る恐怖と安堵感

文中に、

ちゃんと病名が分かって、「頭がおかしくなったんじゃなくて、病気で良かった」とも思えた。

とありますが、これは本当にそのとおりなんだと思います。

自分がおかしいのはなんなのか、なぜみんなと違うのかなどの不安が病気が原因であると知ることができれば大きな安堵感があるかもしれませんが、心のどこかで「病気はイヤだ」という恐怖もあるんだと思います。

※このとき僕は妻とはすでに出会ってはいたのですが、これらの入院については1年間ぐらい連絡を取っていない期間の出来事ですので、後日談として聞いています。

 

そして、

でも病気って分かったからこそ「病気だから病気だから」ってそれを言い訳に使うようになった。

これもそのとおりです。

病気に立ち向かっていくという意思意欲がとても弱く、それを理由にして自分の思い通りにしたい様子がかなりの長い期間続きました。

でもそれは妻が特別なんじゃなく、多くの人もこう思っているところは心のどこかにあるんじゃないかなと思っています。「病気だから仕方ない」と自分自身で言ってしまえば諦めだってつきますもんね。

 

妻が感じること

退院後にはまた入院する前の生活に戻っていったと文中に書かれていますが、人はなにか嫌なことから解放されたときには、それらを補いたい心理がはたらくんですね。

親に八つ当たりしたり、家で暴れたり、夜中好き放題遊んで親を困らせたりしたと書かれていますが、実際に僕と出会ったときからそうでしたし、再会(1年後)したときもそうでした。

ただ妻は、それを「わかっていながらもやってしまう人」でした。

 

こんなことをしてしまっている自分がいる、でも今の自分を保つためにはこうするしかないというジレンマがあって、これを「悪」と捉える人もいると思いますが、僕はこれは「本人からしたら、このときはこうするしかなかったんだろうな」と思うんです。

知らないことやわからないことをいくら考えても、最善の方法は浮かんできませんから、年齢や家庭環境を考えると、このときの妻にはまだ難しかったんだと思います。

 

二回目の入院と僕との出会い

今度は「自分から」入院したいと申し出たようで、これも大きな心の葛藤があったんではないかと思っています。

他の人には理解できないほど、すごく苦しかったんだと思います。自分では自分を止められない、両親でも難しい、それならば一度経験している入院をもう一度するしかないという思いなのかなと。

 

続いて、二回目の入院について妻が語っていた内容です。

【タイトル】
二度目の入院

二回目の入院は割りと楽しかった気がする。

一回目の入院で仲良くなった人もいて、看護師さんんも一日の流れも何も変わらないからそんなに苦痛じゃなかった。

薬の量も5,6錠くらい減って、2錠になったけどずっと飲んでると段々効かなくなってきて少しずつ強いものになっていった。

5ヶ月も毎日のように薬飲んでると、流石に体がだるくなってきて、座るのも、立ってるのも、もちろん歩くのもしんどくて、目の焦点は合わないし、起き上がると目が回ってるみたいになって、体はフラフラ揺れてトイレに行くのさえきつかった。

 

二回目の入院のときには、親と一緒なら近くのコンビニにも行けるようになったけど、ほぼ一日寝て過ごしてたから、体力なんて全然なくなってて、往復15分くらいの距離のコンビニに行くだけで、息切れはすごいし薬が残ってるせいで真っ直ぐ歩けないしで大変。

だけど、外の空気さえ吸えない病棟だったからどんなに体がだるくても行ける時は必ず行ってた。

外に出ると風が気持ちよくて外に出るたび「頑張って治そう」って思えた。

 

そのおかげで、特別なにかをしてたわけじゃないけど2ヶ月で退院出来た。

その1,2ヶ月後の夜中、急に誰かに助けてほしくてなにかが怖くて仕方なくなって、時間なんて考えずに1人で病院に行った。リストカットして血が流れたままの腕で。

そうしたら、入院になっちゃって、個室の隔離に入れられた。

その日から一日中泣いてた。

小さい部屋に布団が敷いてあるだけの部屋。分厚くて、重たいドアに外からは鍵が掛けえられて、本当に誰でも良いからほんの少しでも良いから誰かと話がしたいだけなのにドアが開くのはご飯の時間の一瞬だけ。

 

たまに親が来ても少しだけしか時間がなくて毎回泣きながら「行かないで、助けて、抱きしめてよ」って思ってた。

そうしたら一週間後やっとその思いが通じたのか親は先生に退院出来るように言ってくれて退院出来た。

たった一週間なのにすごい長く感じて、今思い出しても結構しんどい。

その後今の彼に出会った。

はじめてこの記事を読んだとき、かなり壮絶というか、感情が大きく揺れ動く出来事が多く起こった話だと思いました。

ちなみに個室に隔離されたときの状況は今でもまだ鮮明に覚えているようで、「本当にしんどかった」と話していました。ご飯が運ばれてくるときしか人と会わないというのはなかなか厳しいものですからね。

 

薬の話

何の薬を飲んでいるのかすら妻は知らされていなかったようで、何種類かある薬の中で「眠剤」だけは理解できたそうです。

この薬がなかなか強烈で、妻は体が小さい(148cmぐらい)ということもあり、12時間ぐらいしっかり寝ないと効き目が切れずにフラフラした状態が続いてしまうようでした。

しかし知らず知らずのうちに薬にも依存するようになってしまいます。

 

「薬を飲めば眠れる」「薬を飲めば落ち着く」このあたりは境界性パーソナリティ障害に限らず、うつ病などの精神疾患を患っている方もよく理解できる感覚かと思います。

ただ、それが薬物の危険性であり、「薬を飲めば眠れる」「薬を飲めば落ち着く」という感情から「薬を飲まなきゃ自分はだめだ」という感情に変わり、それが薬物依存の恐怖でもありますから、意識して気をつけていただきたい部分です。

 

自分の意思を伝える難しさ

もともと自分の意思や意見を伝えるのがあまり得意ではない妻ですが、入退院を繰り返すことや荒れた状態を過ごしていく中でどんどん苦手になっていきました。

「自分の意見なんて聞いてもらえない」という気持ちもあったと思うのですが、親御さんからしたら「言ってくれなきゃわからない」という気持ちで、家族とのトラブルもそれなりにあったようです。

そしてやはり「自分の意見を否定される」という幼い頃からのトラウマもあり、「だったら自分の意見なんて言わない/言っても意味がない」と思うようになってしまいました。

親と子の関係の難しさ、そして意思を伝えるという難しさですね。

 

併せて読みたい
【境界性パーソナリティ障害】母親は共依存や過保護である可能性が高い。

続きを見る

併せて読みたい
母親が原因?!なぜ母親は境界性パーソナリティ障害の原因と言われることが多いのか。

続きを見る

 

妻が変わっていく

妻の文の最後に、

その後今の彼に出会った。

とありますが、もっと細かく言うと1年ぶりの再会です。

妻と出会ったのは2014年08月か09月で、妻が境界性パーソナリティ障害と診断されたのが2015年04月頃、そして再会が2015年08月頃です。

このあたりの話も含め、次回、このシリーズの最後になりますが、境界性パーソナリティ障害になって半年経過したころと境界性パーソナリティ障害が完治するまでの流れへ続いていきます。

 

境界性パーソナリティ障害専門カウンセリング

今すぐ詳細を見る

BPD患者さんだけでなく、ご家族やパートナー向けの接し方やケアの仕方もご相談いただけます。

 

前の記事を読む
【BPD患者の感じ方①】時計の秒針も怖くて、カーテンの隙間から漏れる光すら怖かった過去。

続きを見る

前の記事を読む
【BPD患者の感じ方②】いつの間に精神科に入院させられることになっていた?!

続きを見る

続きを読む
【BPD患者の感じ方④】境界性パーソナリティ障害は治る病気です。

続きを見る

併せて読みたい
境界性パーソナリティ障害の特徴と彼女が2年で完治した話。

続きを見る

 

もっと学びませんか?

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

関根 浩平/KOHEI SEKINE

生まれ持った気質である「エンパス」を使い、2014年から精神の専門家として北は北海道、南は沖縄県までの累計738名以上の方々の恋愛、結婚、人間関係、仕事、人生など精神支援と目標支援を行なっています。

猫3匹、犬1匹に毎日癒やしをもらって過ごしています。「なんちゃって自己啓発」が大嫌いです。


-境界性パーソナリティ障害
-, ,

Copyright© ROOT MIND PRODUCE , 2020 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.